僕の母は61才で、妻の実母は50才、実父も50才代で、15~24年前に鬼籍に入った。
唯一存命な僕の実父は、母と死別後に再婚、離婚するバイタリティーを持ち、80才の現在も元気で一人暮らし
そんな僕らには、もう2人の父母がいる。
妻は、実父に恵まれず幼少時に家庭崩壊、子どもがいなかった40代夫婦の養女に。
夫婦が養女をとても可愛がったこと、(約50年前は車が無い家も多く)養父母とバイクに3人乗りで出掛けた幼少時代を妻から聞かされていた。
(思えば僕の家も小学3年生まで車は無かった。)
結婚前、デートで彼女の家に車で迎えに行くと、母親は玄関先で出迎えてくれたのに、父親は頑として僕に会ってくれなかった。
最初は嫁に出すのを反対していた養父。義母のお陰もあり、徐々に「仕方ないか・・」と傾き、最後は大団円。
義父母は、離散し東京で独り暮らしの妻の実母に連絡し、結婚式に呼んでくれた。
初めて会った妻の実母は、既にガンで入退院を繰り返し「次は無い」状態。
そうした事情でも、娘の結婚式に産みの母を招待する養父母の懐の深さ。
(結婚の翌年、実母を6人で葬儀。更に数年後、風が実父の逝報を運んできた)
老いが目立ちだした義父母と同居したのは、長男が小学校5年生(15年前)の時。
(義父81才、義母79才の年)
元が子ども好き。まして孫、その可愛がりようは“ひとしお”だった。
妻は、スポ少が無い平日(夏休み)は子供3人と義父母を乗せて、ぶどう狩り、ソバ屋や観光地巡り等、年寄り孝行のお出掛けを重ねた。
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ここ数年は老いが更に加速し、昨年からは、介護ベッド、車イス、オムツが我が家の三種の神器となり、自宅で介護を続けた妻。
養父母が施設を嫌がったこと以上に、養父母への恩もあったのだろう。
デイサービスを利用していて専業主婦でも、ここ半年は妻が介護疲れで疲弊していくのが目に見えたので、僕は一人で野外遊びに出ることやめた。
週末は、一人でのトレッキングに代えて、妻のガス抜きに一緒に映画を見に行ったり、ランチ巡ったり。
しかし、この度、ついに義母が永眠(94才)。
正月で帰省していた孫2人が関東に戻って数日、急に容体が悪くなり入院。
そして、末娘(最後の孫)が日曜(1/12)に成人式を終えるまで耐え、火曜に永眠したので「孫孝行の祖母ちゃん」だったと。
長男が埼玉から戻り、山形の成人式から千葉に帰った末娘がとんぼ返りで山形に戻り、認知症の96才義父は車イス、義母は棺の中で、“最後の家族7人”全員集合。
子供達3人と通夜で思い出に浸ると、流石は大往生。基本は笑顔で。
だって、義母は、明るいことが好きな婆ちゃんだったから。
残るは、同居する認知症の96才義父と、今回で気弱になってきた僕の80才父か。
そして、今回、改めて思ったのは、「子供を巣立たせ、親を看取る」ことが進めば、最終的に夫婦が残る = 「妻を大切にしなきゃ」と。
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ここで僕は、今後の活動方針を決意した。
妻はインドア派で社交的、僕はアウトドア派で人付合いが下手と、趣向が違ったので、子育て(部活)が一段落して以降、週末は僕一人でふらりと野外遊びしてた。
(妻は上の娘を誘って、母娘で買い物行ったり。)
でも、これから(春から)の週末は、妻の健康(ダイエット、体力増強)も考えて、一緒に野外遊びをしよう!!
ジョグやトレッキングなんで一度もしたことのない運動不足の妻なので、僕の提案に難色を示すだろうけど、そこは何とか丸めこんでw。
義父をデイサービスで預かってもらえる時間内(7~8時間)なので、遠出はできないし、妻の体力に合わせると里山を登ってお茶沸かす程度だろうけど。
このままでは23才の上の娘に彼氏も出来ないので、妻を子離れさせて僕が独占しよう。
(時には娘に妻と遊んで貰い、一人気ままに釣りやトレッキングをしたいと思うが。)
そう言えば、クリスマスに上の娘から僕が貰ったプレゼントは、モンベルのザックが2つだった。(20L、30L?)
35年前に買った僕のザックがボロボロなのを知った娘の計らいだったのだけど、
まるで、僕が妻と一緒にトレッキングに行くことを予感したかの如くのプレゼント。
(いや、妻からトレッキングを拒否られる可能性もあるかw)。
という訳で、釣りブログとしてスタートした僕のブログですが、これからは釣行記はUPされず、おちゃらけ雑記になるものとご理解ください。
(そもそも近年は釣行記が少なかったかw。)